動物性高貴生薬−牛黄

牛黄 の歴史
命を養う「上薬」
■■■■■■ 牛黄は、牛の胆嚢や胆管中に稀に発見する「胆石」を乾燥させたもので、「上薬」(命を養う薬)に類別されています。 ■■■■■■
牛黄−Index

牛黄とは  

牛黄の歴史
 牛黄は日本最古の法典である「律令(リツリョウ)」に、 「凡(オヨ)そ官の馬牛死なば、おのおの皮、脳、角、胆を収(ト)れ、若し牛黄を得ば別に進(タテマツ)れ」と記さ れています。これは、国の所有する馬や牛が死んだら皮や角などは集めておかなければならないということと、もし牛黄が見つかったら必ず中央政府に献上しなさい、という意味です。またこの「律令」の注釈書にも牛黄が何であるかの説明がないことから、日本でも7世紀頃には、すでに牛黄が牛の内臓中にあって薬用になるものだということが多くの人々に知られていたと考えられます。中国最古の薬物書『神農本草経』には三百六十五種類の薬物が、上薬、中英、下薬と3種類に分けて記載されていますが、牛黄は上薬として収載されています。上薬というのは 「命を養う薬」という意味で、毒が無く、量を多く飲んだり、続けて服用しても副作用などの吾がでない薬で、飲み続 けると代謝機能が円滑に営まれるので、体の動きは軽くなり、元気を増して老化を遅らせ寿命を延ばすという概念の薬です。また、5世紀頃北インドで成立した大乗仏教の主要な経典である『金光明経(コンコウミョウキョウ)』にもサンゴロカナスクリット語で牛黄のことである崖庭折郷という名の記載があります。これらから推察すると、多分、牛黄は中国かインドで薬として使われ始め、仏教と共に朝鮮半島を経て、奈良朝以前に我が国へ伝来したものと考えられます。
 このように東洋では古くから知られていましたが、西洋へもペルシャを通じて紹介されたようで、英語でbezoar、フランス語で bezoardと呼ばれていますが、これらはみなペルシャ語のpadzahrから転じた言葉のようです。Padは「除く」zahrは「毒」という意味で、すなわち解毒剤ということです。
 西洋に伝わった牛黄は、16世紀に入るとポルトガル人やオランダ人によってふたたび我が国へもたらされました。ポルトガル人はこれをぺドロ・ベゾアルと言っていましたが、日本人はこれをへイサラバサラと聞きなし、牛黄とは別の物だと思ったようです。しかし、江戸時代の百科事典である寺島良安の 『和漢三才図会(ワカンサンサイズエ)』を見ると、鮓莟(サトウ)という項が牛黄と並んでいます。この鮓莟の別名にヘイサラバサラとへイタラバサルとでています。説明によると、この二つの呼び名はオランダ語であるとしています。
鮓莟は牛黄を含む獣類の胆石の総称で、それぞれ牛のものを牛黄、鹿のものを鹿玉(ロクギョク)、犬 のものを狗宝(コウホウ)、馬のものを馬塁(バボク)などといって薬用に供するとの解説がありますから江戸時代の人々は正しい認識を持っていたようです。


牛黄は何に効くか

牛黄の製剤

牛黄が主成分の薬
霊黄参
日水清心丸

 
高麗人参
ナガエ薬局